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『故国はるか――台湾霧社に残された日本人下山操子著/柳本通彦 編訳


亡国の民となって 霧社に生きた日本人一家 〈表〉 台湾霧社に残された亡国の民・日本人一家の波乱の物語―――
ISBN4-88323-110-0  C0095  1999年7月刊 四六判288頁 定価本体2,500円+税

[原著者・下山操子/しもやま・みさこ]台湾南投県小学校教師。1945年4月、父下山一(中国名・林光明)・母文枝の三女として台湾中央部溪南で出生。父系の祖母はマレッパ頭目の娘ペッコタウレ。1955年、中華民国に正式帰化。屏東師範学校卒栗後、山地の辺境など各地の学校教師を歴任。
[編訳者・柳本通彦/やなぎもと・みちひこ]1953年京都府生まれ。ノンフィクションライター(アジアプレス所属)。1987年から台湾に定住し様々な角度から実地調査に基づくユニークな台湾レポートを発信している。著作に、霧社事件後の霧社の人びとを追った『台湾・霧社に生きる』(現代書館)、『匿されしアジア』(風媒社・共著)、『アジア読本・台湾』(河出書房新社・共著)など。ビデオドキュメンタリー作品に『私は日本のために戦った』(NHK教育ETV特集)など多数。1999年度「潮賞」ノンフィクション部門で優秀賞受賞。

      ◇目 次◇
      1 敗  戦 
      2 マレッパ 
      4 進  学 
      5 結  婚 
      6 生  還 
      7 終  章   
      解説に代えて―編訳者あとがき 柳本通彦    
      解説1 霧社事件と日本    
      解説2 下山家の人々

■本書は、かつて「高砂族」とよばれた台湾先住民の血が流れている下山一家が、戦前の植民地時代、ついで戦後の激動する時代に翻弄されて生き抜く、日本植民地の落とし子たちのドラマ。 1930年、日本の植民地だった台湾中部に起きた霧社事件は、先住民セイダッカに日本人130余名が殺されるという、当時の日本を震撼させた大事件であった。母・文枝は、こうした血なまぐさい事件が発生した地に、嫁入りしてきた。文枝は次々に四人の子をなし、戦時下にも幸せな生活を送っていたが、おもいがけない日本の敗戦がこの一家の運命を翻弄することになる。この手記は、その三女・操子が親たちの歴史と自分の生い立ちを書き綴ったものである。

「図書新聞」 1999.10.30
抑圧という言葉の影から伝わる無数の人間が生きている実感!
霧社事件と、その歴史を生きた女性の物語
田村志津枝
 ちょうど執筆中の本になかで、植民地・台湾での映画による宣撫工作にからんで、霧社事件のことを考えていた。霧社事件というのは、日本が反日勢力をなんとかおさえこみ、やっと植民地支配を安定させた1930(昭和5)年、突如として起きた抗日蜂起だ。霧社という山深い先住少数民族の部落を血に染めたこの事件は、日本の植民地政策ばかりでなく、日本人を根元的に問いなおさなけれはならないほどの問題をふくんでいる。
 事件の原因は、もちろん植民地統治への不満が積もりに積もっていたことだが、なかでも日本への反抗心が強いとみなされた先住少数民族にたいしては、日本はときに残虐な弾圧をし、ときに欺瞞と侮蔑にみちた管理をしてきた。事件直前の霧社はいわば統治の模範例とされ、先住少数民族の部落のなかでも文明化がすすみ、教育水準も高く、日本に従順だということで、総督府の自慢のタネでもあった。その部落で反乱が起き、しかも周到な準備のもとに日本人だけが標的にされたことが、総督府を驚愕させた。首謀者のなかには、総督府が子飼い同然に好待遇をして、日本側にとりこもうとした少数民族出身の巡査もまじつていた。彼らは、文字どおり生命をかけて日本に抗議をしたのだ。日本側は、事件発生後すぐに、毒ガスをふくむ近代兵器を駆使して蜂起を鎮定し、目をおおいたくなるような報復措置をしている。
 さて前置きが長くなってしまったが、本書『故国はるか』は、サブタイトルからもわかるように、日本側が前述したような暴虐のかぎりをつくした土地に、戦後も残って暮らしつづけた日本人の物語だ。霧社事件の真相は、ほんとうのところいったいなんなのか。反乱が無理矢理に鎮圧されたあと、霧社の人々はどんなことを思って生きてきたのか。そんな興味をもちながら私はこの本を読みはじめた。霧社の人々が日本からこうむった苦難は、いまだに終っていないのだ。太平洋戦争時には、彼らは高砂義勇隊として危険な南方の前線に送られ、終戦後もなんの補償もうけていないのだから。
 読みすすむにつれて、私の当初の好奇心は見事に裏切られていった。だが、だからこそ私は本書を一気に最後まで読みとおしたといえる。この本には霧社事件にまつわる客観的事実などは、書かれていない。書かれているのは、まさにこの著者でなけれは書けない事件前からいままでつづく家族の歴史であり、歴史の渦に翻弄されながらも懸命に生きた女性の物語だ。
 著者の祖父母は、政略結婿の第一号であった。日本は頑強に反抗をくりかえす先住少数民族を手なずけるため、日本人警察官と頭目(先住民族の部落の首長)の娘との結婿を政策としてすすめていた。警官たちは三年たったら妻子を捨てて日本へ帰ってもよいこととされていて、祖父は幼子と妻を残して内地に去った。著者の父は、幼なじみの日本人と結婚した。まもなく日本は敗戦をむかえるが、父は女手ひとつで苦労して子供を育てた老母のことを考えて台湾に残り、母も夫の意をくんで異国に残った。
 その後の一家の苦労は想像にあまりある。なにしろ彼らは、台湾社会の最下層におかれる少数民族の血をひき、かつての抑圧者・日本の国籍をもっているのだ。とくに著者が子供時代に、中国大陸で日本軍と戦った経験のある教師から、激しい憎悪の対象とされる話は、読むのがつらかった。そうでなくとも、貧困や周囲との軋轢にいらだつ母、日本のスパイ嫌疑をかけられた父、といった幾重にもかさなる苦渋が著者をとりまいている。それらを著者が、ふとした小さなきっかけを手がかりに切り抜けていくたくさんの逸話は、それぞれが感動的だった。考えようによっては悲惨な話が、著者のからりとした筆致によって、まるでお伽話のような色合いを帯びていくのには感心させられた。  あとがきによれは、著者に本を書かないかとすすめたのは、この本の編訳者である柳本通彦氏だ。たちまちのうちに書きあげられた原稿を読んで、柳本氏は著者と母親との葛藤のはげしさに、しばしば翻訳の筆をとめて考えこんだという。じっさい、統治者がその場かぎりの力の論理でのみ考えた政策が、個人個人の生に落とす影は暗くそして長い。著者は母を理解するためだけにさえ、たいへんな時間とエネルギーをついやさざるをえず、そして結局は母にたいしてやさしい気持ちをいだける境地にいたっている。原稿は、柳本氏によっていくらか整理がされているのだろうが、著者の日々の実感をそこなわずに本にされたことを喜びたい。圧政とか抑圧とかいう短い言葉のかげに、無数の生身の人間が生きているのだという当たり前の厳粛な事実を、この本はつたえてくれる。(ノンフィクション作家・日本大学講師)

  参考/草風館刊『証言霧社事件』アウイヘッパハ述
           『証言台湾高砂義勇隊』林えいだい編著

 

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