書籍のご案内(020815現在)
 『趙根在写真集』
◎ハンセン病を撮り続けて◎
一すじの光は届いたか! 「闇部」を記憶するために

■「らい予防法」が廃止されて五年、政府による隔離政策は日本の近代化と共に一気に20世紀を走り抜けました。まさに20世紀、負の遺産といってよいでしょう。注視すべきは平和人権運動のもとでその影に、この政策が術もなく温存されていた事実です。写真家趙根在は、そこに唯一患者さんたちにカメラを向けることによって、そして患者さんたちと寝食を共にすることによって、じっと時代と向き合っていたのです。昨年(2001年)5月11日、国の責任を認める判決が熊本地裁で下されました。彼は、その判決を待たずに5年前亡くなりました。この写真集は、同胞である在日朝鮮人の患者さんたちとの療養所での出会いをきっかけに、彼とハンセン病に生きる人々との歴史の記録であり、そして21世紀を問いかける鋭い”刃”として、我々に訴えかけてくるものと確信いたします。  

ISBN4-88323-127-5 C1072 ■体裁B4変形208頁/定価 本体5000円+税■9月初発売

本書刊行の賛同者
芥川仁(写真家)岩永善信(ギタリスト)大谷藤郎(国際医療福祉大学学長・財団法人藤楓協会理事長)岡部伊都子(随筆家)鎌田慧(ルポライター)國本衛(ハンセン病全国原告団協議会事務局長)桑原史成(写真家)神美知宏(全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長)崔洋一(映画監督)酒井義一(ハンセン病国家賠償請求訴訟を支援する会副代表・真宗大谷派存明寺住職)佐川修(高松宮記念ハンセン病資料館事務局運営委員)曾我野一美(ハンセン病全国原告団協議会会長)立松和平(作家)田中等(ハンセン病国家賠償請求訴訟を支援する会代表)谷博之(参議院議員)筑紫哲也(ジャーナリスト)土本典昭(記録映画作家)徳田靖之(弁護士)中原義郎(写真家)中山節夫(映画監督)(50音順/敬称略)

趙根在の写真が語るもの!!
この写真集は、趙根在氏とハンセン病に生きる人々との歴史の記録であり、そして21世紀を問いかける鋭い“刃”として、我々に訴えかけてくるものと確信する。これだけ生き生きとした写真を、これだけ多く残した人は他にいない。ハンセン病の歴史を伝える貴重な作品群だ。佐川修(高松宮記念ハンセン病資料館運営委員)
趙根在さんの写真には、対面するもののいずまいを正させずにはおかない荘厳さが映しだされている。それは彼の生涯の生き方そのものだからであろう。写真家の対象とのむきあいかた、歴史へのかかわりあいかた、そして、伝えようとする激しい想い、それらがこの寡黙にして痛切な一冊から、宇宙にむけてたちのぼっている。鎌田慧(ルポライター)

編集後記● 
趙根在と村井金一。彼はこの両者のあいだを揺れ動く時空を生きた。趙根在は北朝鮮の故郷を追い出され慣れぬ土掘り人夫となって来日した朝鮮人の9人兄弟の末子として愛知県で生まれた(そのうち5人は朝鮮で夭逝している)。戦後もそのまま「在日」という新たな身分のまま下層労働を強いられた。趙根在は家族の食い扶持を得るために15歳の若さで炭坑(ヤマ)にはいる。
 「ヤマ」は近代産業のなかでもっとも過酷な労働環境であった。いわば囚人労働の原型がそこにあった。初期の囚人、のちになってあらゆる階層の民衆が集められて地底の黒ダイヤを掘り出したのである。海外への侵略戦争のため日本の男子が根こそぎ戦場に狩り出されると、代わりに植民地から朝鮮人をつれてきて投入。敗戦後もそのままエネルギーが石油にとってかわるまで、変わりなく地底の労働は続いた。
 一方、「ハンセン病」に対する隔離政策は天皇制近代国家の犠牲(いけにえ)にされた被差別領域である。国家権力による衛生上の「清潔」観念の産物にほかならない。まさに隔離による絶滅政策であった。このような例は他国に例がない。療養所は強制収容所であり、まったく別世界を形成、この世とは高い塀で隔てられ、一度そこに入ると、完治しても社会に復帰できないような差別と偏見を国民のなかに作りあげてきたのである。
 趙根在は、はじめマルヤマ、次にムライという仮名と趙という本名のあいだを往来する不条理を日本というクニのなかで生きたが、それは「ハンセン病」という国家がでっちあげた「恐ろしい伝染病」という神話を収容所のなかで生かされた患者たちの不条理に通底している。趙根在が「ハンセン病」に魅入られた奥深い世界がそこにある。

 趙根在が多磨全生園で出会った同胞(朝鮮人)から受けた無限の「やさしさ」はどこから来るのだろうか。もっとも差別を受けている人々がもつ諦念からそれは生まれるのかもしれない。自由を奪われ社会復帰が閉ざされている収容所の患者たちの社会(故郷)への願望は、趙根在が炭坑にもぐって眺めた地底からはるかなる坑口に一条だけ射す光にも似た、絶望の一筋だったのではあるまいか。
 趙根在はそれから日本列島の沖縄を除いた北から南まで療養所の同胞と寝食をともにしてその生活を撮り続けた。その後は可能なかぎり集めた「ハンセン病」の文献に囲まれながら研究に打ち込んだ。その研究は断片しかのこらず、そのままあの世にもっていってしまった。
 本書の出版は、趙根在が1981年季刊『人間雑誌』(草風館刊)に「日本国らい収容所」を連載した時よりの宿題であった。趙さんの生前にこの宿題を果たすことができなかったことはまことに残念なことである。
 ここに時期が到来、多くの人たちのご協力をえて、ようやく上梓することとなった。ご協力いただいたかたがたのお名前をすべて記して感謝のしるしとしたいところ、省略させていただきます。
  2002年盛夏   内川千裕(草風館)

 

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