『名前を返せ◎モーナノン/トパス・タナピマ集』 
第1巻 発売 
『台湾原住民文学選(全5巻) 
編訳・解説/下村作次郎 
装幀/菊池信義

台湾に生きる先住民、魂の叫び! いま「高砂族」は…… 台湾島の根底を流れる水脈に耳を傾けよう
ISBN4-88323-129-1 C0097 体裁:四六判・上製・320ページ 定価 本体2800円+税

●名前を返せ■目次●
◎モーナノン集◎
僕らの名前を返せ/鐘が鳴るとき─受難の山地の幼い妓女姉妹に/ もしもあなたが山地人なら/ 燃やせ/山地人/帰っておいでよ、サウミ/遭遇/ 白い盲人杖の歌/百歩蛇は死んだ 
◎トパス・タナピマ集◎
トパス・タナピマ/最後の猟人/ 小人族/マナン、わかったよ/ ひぐらし/ 懺悔の死/サリトンの娘/ウーリー婆の末日/ぬぐいされない記憶/  名前をさがす/恋人と娼婦/救世主がやってきた/怒りと卑屈 
【解説】台湾原住民文学とはなにか 下村作次郎 

僕らの名前(注1)を返せ モーナノン■(本文より)
 「生番」(注2)から「山地同胞」(注3)へと
 僕らの名前は
 台湾の片隅に置きざりにされてきた
 山地から平地(注4)へ
 僕らの運命は、ああ、僕らの運命は
 ただ人類学の調査報告書のなかでだけ
 丁重な取りあつかいと同情を受けてきた
 
 氾濫する強権は
 祖先の栄誉を押し流し
 卑屈の影が
 社会の端で民族の心を侵食している
 
 僕らの名前は
 身分証の書類のなかに埋もれてきた
 私欲のない人生観は
 工事現場の足場のうえでゆれうごき                                                         
 船舶解体工場から炭坑、漁船へとさまよう
 荘厳な神話は
 テレビドラマのありふれた話となった
 伝統的なモラルはまた
 花柳の巷で踏みにじられ
 男らしい気概と純朴な優しさは                                                            
 教会(注5)の鐘の音とともに静かに消えていく
 
 僕らにまだなにが残っているのだろう                                      
 平地で落ちぶれさまよう足跡だろうか                                                     
 僕らにまだなにが残っているのだろう
 崖っぷちでためらっている勇壮な志だろうか
 もしもある日
 僕らが歴史のなかをさまようのを拒否したら
 どうか真っ先に僕らの神話と伝説を書いてください

 
 もしもある日                                                                     
 僕らが自分たちの土地のうえをさまようのをやめたら
 どうか真っ先に僕らの名前と尊厳を返してください
 
 (注)
 (1)名前 民族固有の名前。1945年中華民国体制下で、名前は漢民族式に変えることを強制された。
  現在は民族固有の名前を名乗ることができる。
 (2)生番 清朝時代の原住民族の呼称。日本時代には「生蕃」と呼称した。
 (3)山地同胞 戦後中華民国となり、まず高山族と呼称された。その後山地同胞の呼称が正式名称となったが、  1994年以降は原住民の名称が正式となり、さらに1997年には原住民族と修訂された。
 (4)平地 山地に対する用語で、漢人(平地人)が住む町や都会を指す。
 (5)教会 キリスト教の教会。
  ●右写真 〔上〕モーナノン 〔下〕トパス・タナピマ       


【書評等反応のご紹介】
“中国の台湾政策、少数民族政策を鋭く批判” 矢吹 晋(横浜市立大学教授)
 草風館という出版社がある。風に揺れる野草のように、いかにも目立たない出版社だが、出す本はいずれも骨太であり、アイヌから水俣まで、朝鮮・韓国、そしてベトナム問題、一貫してマイノリティに向ける視線は揺るがない。このたび台湾原住民文学選集全5巻シリーズの第1冊目『名前を返せ』(下村作次郎編、2002年12月)が出た。
 パイワン族の盲目の詩人モーナノン(曽舜旺)の九編の詩は、いずれも神話と現実が混淆した響きをもつ。パイワン族は咬まれたら百歩歩かないうちに絶命する毒蛇「百歩蛇」の卵から生まれた「太陽の子」たちを自任する。「追憶によって僕は確信し理解する。うるわしき島の本当の主人と」。「本当の主人」であることの覚醒を描く長詩「燃やせ」は、海峡両岸の空虚な政治を撃つ力強い叫びだ。「太陽の子」たちの島へやってきた「ミンナン人が肥沃な平原を占有し、祖先を山麓に追いやった。そしてスペイン人、オランダ人、日本人。戦争が終わり、「日本はついに去り、中国がついに入ってきた」「君は中国に帰属するのか? 中国は君の母親なのか?」「中国? なんとなじみのない名前だろう! 言葉が通じないのにどうして僕の母親であろうか?」。太陽の子たちからすると、「ミンナン人が「本当の主人」を僣称するのは許されないし、中華民国政府が漢民族式の名前を強制したのも暴挙である。「ああ! 中国よ! あなたは人民の名前なのか? それとも政権の名前なのか? あなたは被抑圧者の名前なのか? それとも抑圧者の名前なのか?」。モーナノンはここで「うるわしき島の本当の主人」を僣称する「ミンナン人(いわゆる台湾人)の誤ったアイデンティティ感覚を批判しつつ、返す蛮刀で中国を僣称する中華民国をも撃つ。そしてこの中華民国批判の論理は、ただちに中華人民共和国の台湾政策、少数民族政策に対する鋭い批判にもなっている。「そうだ、幸せは苦しみのなかから、つかみ取るものだ。自由は手かせ足かせのなかから、つかみ取るものだ。僕はもう一度大地に立ち、少数民族の明日と運命のために、この身を投げ出して、この燃えたぎる心を、ひたすら燃やそう!」。
 本書のもう一人の作家はブヌン族のトパス・タナピマ(田雅各)であり、十三編の短編小説が収められている。作者は高雄医学院を出て、現住民族の医療活動に従事する医師であり、その立場から見た私小説的な作品が多い。訳者によれば、「トパスは、ブヌン語で思考し、学校教育のなかで獲得した第二の言語、中国語で創作する」由だ。これはかつて漢族系の台湾人作家が「日本語で考え、それを漢語に置き換える」現象と似ている。後者の場合に日本語の発想が入り込むように、トパスの小説にはブヌン語の影響が見られるという。三〇年昔、呉濁流老と語り合った往時を想起するが、トパスの「呉濁流文学賞」受賞を冥界の翁は相好を崩して喜んでいるはずだ。  『 チャイニーズドラゴン』12月17日号コラム「現代中国を読む」より


 

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