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 『アイヌ語地名資料集成』山田秀三監修/佐々木利和編

■北方地域史k研究の基本資料を網羅。初めて活字化する資料を収載。松浦東西山川取調図28葉添付。
                   刊行にあたって
アイヌ語地名は、北海道のみならず東北地方の土地に刻みつけられた貴重な歴史資料である。かつてその地に文化を育んだ人びとの生活感覚が記憶され、歴史の波に洗われながら生き続けた、またとない文化財である。地名研究が盛んになりつつある今、地方史研究の重要な資料であるアイヌ語地名に関するこれまての必読文献を一堂に結集して、その地名研究の便宜に供するために、本書は編まれた。秦檍麻呂、上原熊次郎の未刊史料をはじめ、金田一京助、チェンバレン、バチエラー等の地名研究に付け加えて、松浦武四郎"東西蝦夷山川地理取調図"(全28葉・一色刷)を収録。

ISBN4-88323-036-8 C3025 
1988年刊菊判546頁+別冊地図 定価本体24,000円+税

■内容■
序 山田秀三
東蝦夷地名考 秦 檍麻呂  
  著者自筆本。文化5(1808)年成立。本書では国立公文書館内閣文庫本を底本とし、対校に函館図書館本を用  いて異同箇所を明示した。
蝦夷地名考併里程記 上原熊次郎  
蝦夷地道名国名郡名之儀申上候書付 松浦武四郎
蝦夷地名奈留辺志 多気志棲主人
アイヌ語地名の命名法 B・H・チェンバレン  執行一介訳
アイヌ地名考 J・バチェラ 中川 裕訳
北奥地名考 金田一京助
北海道駅名の起源 高倉新一郎 知里真志保 更科源蔵 河野広道
大日本沿海輿地図蝦夷地名表 伊能 忠敬
アイヌ語地名資料集成について 佐々木利和
解 題  佐々木利和・中川裕
アイヌ語地名索引 別冊 東西蝦夷山川地理取調図 松浦竹四郎

[すいせん文]
 得難い資料           秋葉 実  
 今回山田・佐々木両先生の監修・編集により、未見の『東蝦夷地名考』を含め、基本的なアイヌ地名資料集成が刊行の運びに至ったことは、喜びにたえない。上原熊次郎は寛政四(1792)年に早くも蝦夷語解二作品を著しており、地名解として私の知る限り最も古い享和元(1801)年勝知文著の『東夷周覧』の序にも「地名ノ訳ハ通詞阿部長三郎、上原熊次郎二由テ正ス」と述べられている。得難い資料がまとめて入手できることはうれしい限りである。  北方地域史研究必携の書    榎森 進  
  だいぶ以前のことになるが、東京国立博物館に伺った際、佐々木利和氏が「こんなものもあるよ」といって一冊の記録を見せてくれた。みるとそれはアイヌ語通詞上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」で、松前・蝦夷地の主要な地名に関する詳細な地名解であるだけでなく、「シピチャリ」の項には「メナシウンクル」「シュムンクル」をはじめとして「ウショロンクル」「ウシケシュンクル」「ホレバシウンクル」「シメナシウンクル」「チュプカウンタル」「レブンモシリウンクル」など各地域毎のアイヌの集団名も記されている。メナシウンクル、シュムンクル以外の集団名とその地域的範囲も記しているのはおそらく本書のみであろう。それだけに、この記録に接した時の感動は今も忘れられない。今回、右の記録も含んだ『アイヌ語地名資料集成』が発刊されることは、よろこぴにたえない。近年歴史学の分野でも北方地域史、アイヌ民族史への関心が次第に高まり、それに伴ないアイヌ語地名についても従来とはちがった角度からの関心が向けられつつある。本書が北方地域史研究の必携の書として活用されることを期待してやまない。     
 アイヌ語地名再生の為に    貝沢 正  
  アイヌ語地名研究家としてご高名の山田秀三先生が監修された『アイヌ語地名資料集成L』とあれば、専門家はいうに及ばず多くの方が待ち望んでいた本でありましょう。ちなみに二風谷のアイヌ語地名を見ると、幅2キロ長さ7キロの内に57カ所ありますが、これまでにどのぐらい多くの地名が故意にあるいは内側から消され忘れられてしまったことか。この資料集成が陽の日を見ることにより改めてアイヌの生活文化誌である地名が再び見直され、不明とされていた部分が解明されることに期待するものです。アイヌ民族の一人として発刊を祝するのと併せてご推薦申し上げる次第であります。    
  東北の古代史研究に資す    工藤 雅樹   
  これまて考古学や古代史の研究者にとって、東北地方のアイヌ語地名の問題は専門外のことに属していた。しかし近頃は『山田秀三著作集』の刊行もあり、アイヌ語地名の重要さが知られはじめてきたように思われる。しかし本当は、山田氏などの研究の結論の部分だけを著書から借りるだけでは不充分てあって、東北のアイヌ語地名を知るためには、本場の北海道のアイヌ語地名に親しむことと、アイヌ語地名研究の歴史と方法を理解することが必要である。この資料集成には金田一京助氏の『北奥地名考』や知里真志保氏らによる『北海道駅名の起源』も収められるので、東北の古代史研究者の一人としても、座右の書としアイヌ語地名への理解を深めたいと思う。    
  北方地域に光をあてる     谷川 健一  
  アイヌ語地名は固有の文字をもたなかったアイヌ民族のかけがえのない貴重な文化遺産である。アイヌ語地名をあたう限り集める作業は、アイヌ民族の誇りある歴史の顕彰のためだけでなく、日本列島の北方地域に光をあてることてもある。山田秀三氏の『アイヌ語地名の研究』およぴ永田方正『北海道蝦夷語地名解(初版)』を刊行した草風館が、松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」の復刻を含めた本資料集をここに刊行すると、アイヌ語地名研究の基本文献が一堂に勢揃いすることになる。まさに鬼に金棒のシリーズといえよう。

                     序
                  山 田 秀 三

 アイヌ語地名に興味を持っておられる方に、ほんとに役にたつ、いい本ができた。この本が作られるに付て、若干の契機が私にもあったらしいので、簡単にそのことを誌したい。 刊行元の草風館の内川千裕さんは我われのごく親しい研究仲間であり、私の著作集『アイヌ語地名の研究』(全四巻・昭和五十七〜八年)の出版元でもあった。著作集は面倒くさいのでなかなかそれに乗らなかったのだが、彼の熱意でとうとう作らされたのであった。 その間、私の使って来た参考文献を見て来られたのだが、その中には一般には簡単には入手しにくいものもある。彼が先ず、有名な永田方正著『北海道蝦夷語地名解』の初版本の復刻をしたいと云い出されたのには驚いた。 アイヌ語地名に興味を持つ人なら誰でも読む本だが、明治二十四年の初版は現在では容易に入手できない本なので、殆んどの方は第四版の本を使う。残念ながら後の版には至る処に誤植があるのだが、気がつかれないまま通って来たらしい。初版本で、本当の永田地名解を一般の方にも読んで貰いたいという内川さんの気持ちは分るが、少し前に四版本の方が他から出版されたはかりだ。今出してもそうは売れないだろうと心配したが、一徹な彼は聞かない。私の処から初版本を持って行って、ていねいに復刻して出した。いい本なのだが、やっぱり余り捌けないで、商売にならなかったらしい。但し私は大助かり。復刻版なら使ってポロポロになっていいし、書き込みもできるってわけだ。 それでも懲りないで、今度は他の楽に入手できない地名文献を一冊の本にして置きたいという。そこが草風館の持ち味だろうか。また私の書架から一、二冊持って行かれた。この本の中身の方は絶対に保証するが、何しろ一般向きの本ではない。商売になるかしら。 本書の編集、解題は佐々木利和さんがされた。佐々木さんも我われの有力な研究仲間。このごろは、地名調査旅行の際はたいていは佐々木さんを誘ぅ。文献の取扱いにかけては、一目も二目も置いて来た方だ。彼の恩師であり、私の親友でもあった久保寺逸彦博士の大遺稿の『アイヌ叙事詩 神謡・聖伝の研究』を忠実に編集して世に残されたり、室町初期の諏訪大明神画詞の中の蝦夷の記を、多くの写本を渉猟して初めて学問的に解読したりもして来た方だ。 本書の中の上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」を博物館の蔵から探すし出されたのも彼だった。アイヌ語地名考の鼻祖ともいうぺき上原翁の尊敬すべきこの本に、お蔭で初めて触れた時の感銘を忘れない。あの読みにくい手筆をその佐々木さんが解読して活字化し、この本で初めて一般に公開された。それ一つだけでもこの本を求められた値打ちであろうか。 先ず、本書に収められた秦檍麻呂「東蝦夷地名考」は私の知っている範囲では、最古のアイヌ語地名解集であったらしい。あの名高い秦氏だが、この中の方ぼうで、アイヌ語と日本語とをごちゃまぜにした解をしているのに呆れられるかもしれない。 だが、至る処に、アイヌ古老からの聞き書きらしい解が書かれている。古老の聞き書きは古いほど値打ちがある。一番古い地名解聞き書き集といえようか。貴重な本だ。後々までそれが孫引きされて行ったのであった。いいか悪いかは別であるが。 上原熊次郎の「蝦夷地名考」はそれから一六年後に書かれた。今、それを見られて、接頭辞のオ(川尻に、そこに等)が、動詞の「有る」に訳されていたりして笑い出されるかもしれない。だが古い時代のそんなことに目をとられて、この書の珠玉のような記録を見落されないように。 彼は当時の優れたアイヌ語家であったが、謙虚な人柄で、また諸地方のアイヌ長老たちとも親しかった。その跋に、諸場所の長老たちに再応相質した上で和訳した、と書かれたが、そこが貴重である。ただこの本は官庁文書として部外の人には見れなかったらしい。 幕末にはいくつかのアイヌ語地名解の本が出て松浦武四郎や永田方正がそれを参考書としたことは、松浦日誌や永田地名解の記事で分る。それらの記事や僅かに残った本から見ると、当時の地名解は泰氏と上原氏の本を台として、通詞(アイヌ語通訳)たちが若干を付け加えたものだったことがはりきり分る。 要するに秦、上原両氏が御先祖で、後の人がそれを孫引きしたり、別の意見に書き直したりしながら今日まで来た。それがアイヌ語地名解の初期からの系譜である。後になれほなるほどよくなりそうだが、実際はそうとは限らない。時に原点に戻って改めて考え直したくなる。 金田一京助先生の「北奥地名考」は懐かしい。終戦後間もない時代、私が東北のアイヌ語地名に熱中し出したころ、上野の図書館(今の国会国書館の前身)のカードの中でこれを見つけ、書いて出したが何度行っても出て来ない。我われには見られない資料らしいと諦らめていた。 その後、先生の知遇を受けるようになり、その話をしたら、書斎の中を探され、ありましたよと渡された。『東洋語学乃研究』の金沢庄三郎博士還暦記念号(昭和七年)の抜き刷りだった。今の方はこの素晴らしい研究と、上原地名考とをこの本で併せて読める。羨ましいみたいだ。 『北海道駅名の起源』はよく読まれた本。昭和二十九年版がその後の定本になっているようだが、私にほ理屈が勝ち過ぎたような気がする解が処々に見える。多く古伝承の線で書かれた同二十五年版と併せ読まれる形にしたいとお勧めした。 地名は昔の人が、その土地、土地のアイヌ語で、何となく呼び出したものだりた。その意味が忘れられた今日、いくら理屈で考えたって決定版はない。古くから、いろいろな考え方をされて来た経過を味わう方が面白い。それらをまとめたこの本を手の届く処に置いて、いつでも先人たちの話に触れていられるようにしたい。松浦武四郎の、有名な「東西蝦夷山川地理取調図」が別冊として付けられた。原本は色刷りだが、それでは余りに高価になるので黒自の写真復刻にしたという。地名屋にはそれで充分役に立つ貴重資料である。 とにかく、枚浦氏が彼の旅行メモと、諸場所から送って貰った土地、土地の地図を基礎にして、当時殆んど知られなかった内陸の地名までを詳紬に記録して北海道全体を纏めた画期的な地図である。彼が独力で、しかも短時日の間に、どうしてあれだけのものを作り上げられたか、ただただ驚く外ない。それがかけがいのない基礎的資料として残ったのであった。 ここ何十年も、毎日のように、この地図を開いて研究して来た。ぼう大な資料のことである。中に内陸の地形や地名がずれていたり、地名の字に誤刻らしい点があったりはするが、それを修正して読んで行くのは我われ後の研究者が古文書を扱う上での当然の仕事で、寧ろなぜずれたか、なぜ誤刻されたかが貴重な研究材料でもあるのだった。その意味でも、この地図集が原本をそのままで写真復刻された処が値打ちであると云えようか。この地図はアイヌ語地名の原点のようなもので、たまに図書館や大学に行って見るだけでは充分でない。手許に置いて絶えず見ているとだんだん味が分る資料である。私が長年使っていた原本は余り開くので折り目が切れ、字が霞んだりしてもうボロボロ。これからは、この写真復刻の方を使ぅことになりそうである。 さすがは内川さんや佐々木さんで、この外にもアイヌ語地名に付ての貴重な参考文献がよく採録されている。私が研究を始めたころに、こんな文献がないかと探し廻り、やっと読めた資料が並んでいる。それがこの一冊の本に纏め上げられたのであった。これからの方は、こんな調法な本ができて、それを書棚に置きさえすればいつでも楽に読めて羨ましい。いや私もこれをそばに置いて使うつもりである。

1987.8.19
北海道新聞
「秋の夜長は地名考」
希少論文8点を収録
 
  十九世相初めの秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」、上原熊次郎の「蝦夷地名考併里程考」から、旧国鉄の「北海道駅名の起源」。松浦武四郎、金田一京助のほか、チェンバレン、バチェラーの英文の論考も初訳で網羅し、武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」全二十八枚の複製が付録につく。北海道地名の研究は、二百年近い伝統と蓄積がある。地名全体の大部分を占めるアイヌ語起源のものに関心を持った秦、上原らがいち早く手がけていらい、優れた業積も多い。例えば、明治期の永田方正「北海道蝦夷語地名解」や吉田東伝「大日本地名辞書」北海道・樺太編、戦後の知里真志保「地名アイヌ語小辞典」、最近の山田秀三「北海道の地名」(北海道新聞社)などがある。  こうした著作は覆刻版、現役版で入手出来るが、今回の資料集の八点は希少本化したり、未訳だったりしたものばかり。とくに秦と上原の業積が初めて活字化されるのは、アイヌ語による語源解釈の出発点を確認する上で意義は大きい。

1988.5.19
朝日新聞
留学生が北海道と気づく"別な日本"と差別の実態 「絶滅したはずの民族」へ強い関心  
榎森 進
 
  函館大学で学ぶ留学生から昨年夏、アイヌ民族の歴史や差別問題をぜひ勉強したい、と相談を受けた。私が留学生たちに日本史を教えている関係でそうなったのだが、彼らと話すうちに外国人と日本人の歴史意識のあり方について多くのことを考えさせられた。留学生たち(ハワイ・ロア大学)の日本史についての知識は、その多くが外交官で日本研究者のE・0・ライシャワー氏の『ライシャワーの日本史』によっているようだ。氏は「日本近代化論」の積極的な提唱者で、日本の歴史学界にもさまざまな影響を与えた人である。ところが彼らが学んでいる北海道は、東京でも京都でもないために、ライシャワーが描く日本社会像と一致しない面が数多い。例えば、すでに原始時代に絶えたと思いこんでいたアイヌ民族が厳然と存在することを知らされることである。しかも、自国のアメリカ・インディアンと同じようにアイヌに対する差別の実態に気づき、"別な日本"を発見するのである。留学生がアイヌに強い関心を持ったのは、そればかりではもちろんあるまい。最も大きいと思うのは、昨年八月、北海道ウタリ協会の野村義一理事長がジュネーブでの国連先住民族会議で訴えた報告が、留学生の故郷であるハワイの新聞に大々的に報道されたことだ。ハワイそのものもけっして先住民間題と無縁ではなく、留学生たちは深く心を揺り動かされたことであろう。 このたび、山田秀三監修・佐々木利和編『アイヌ語地名資料集成』と別冊・松浦竹四郎著『山川地理取調図』が東京・草風館から発刊された。 本書には、秦檍麻呂や上原熊次郎の未刊史料をはじめ、金田一京助、チェンバレンら先輩研究者たちの地名研究なども収録された。アイヌ語地名は単に北海道だけでなく東北地方にも刻み込まれた歴史的な記念碑である。そうした人々の長い生活の中に生きているアイヌ地名の資料が、可能な限り集められたことは、今後のアイヌの地名研究ばかりか、アイヌ民族の歴史を知るうえでも貴重な資料と考える。本書が、近年大きな高まりを見せている地名研究・北方地域研究のために有効に活用されることを期待している。
 

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