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 『北海道蝦夷語地名解』永田方正著

■明治時代に北海道のアイヌ語地名を研究・記録した古典的名著。待望の明治24年初版本を復刻。さらに総索引6,000語、北海道全図を付した北海道の地名、アイヌ文化研究に必備の貴重本。

ISBN4-88323-037-6 C3025 1984年刊菊判648頁 定価本体8,000円+税

●本書は、アイヌ語が生活に生きていた明治初期の北海道をくまなく巡向調査し、アイヌの古老に聞き、8年の歳月をかけて完成した北海道地名集成の最高の書である。 永田方正は本書を字引体で作ろうとして果さなかったが、今回詳細な索引を付して使い易くしたことで彼の初志は果された。収めるところの地名約6,000、そのなかからアイヌモシリ・北海道の山河の匂いが立ちのぼる。北海道の地名およびアイヌ語を研究する者で、本書の恩恵を蒙らない者だれ一人もない、アイヌ地名の宝庫である。

1984.10.1
朝日新聞 夕刊
「出版魂」の労作

無責任でいいかげんな本があ量産される一方で、出版の不振や「本が読まれなくなった」傾向がよく指摘されるが、反対に「よくぞこんな労作を」と感嘆させられる良心的刊行も決して少なくない。一般書の書評としてとりあげられることも少ないであろう最近のそんな例を紹介したい。 永田方正著『北海道蝦夷語地名解』。明治24年に出た名著の初版本を完全復刻した上、総索引を付したアイヌ地名6000語の研究・記録である。アイヌ語空間が生きていた初期の北海道を、たとえば知床半島や積丹半島にいたるまで訪ね歩き、可能な限りアイヌ古老に原意を確認してゆく作業は8年間に及んだ。菊判616ページというこの大著に、採算割れの冒険を冒して出したのが、全社員わずか2人の零細出版社であるのも象徴的だ。

1984.9.14
北海道新聞夕刊
東西南北

地名研究書の古典、永田方正著「北海道蝦夷語地名解」の初版が、明治24年の刊行から93年ぶりに復刻された。 初版本は道庁刊、A5版、548ページ。道内6000のアイヌ語地名を地域別に収め、「サッポロ=河海ノ跡乾燥シテ広大ノ陸地」などそれぞれの語源が明らかにされている。今回の復刻では本文、折り込み地図を忠実に再現、原本にない索引が新たに加えられた。 明治の学院・永田が道庁の命でまとめたこの本は、いまも研究者に「永田地名解」の略称で親しまれている。かつて復刻されたこともあって昭和2年刊の第4版が流布しているが、著者の没後の刊行のため誤植が目立ち、折り込みも欠くところから希少化して久しい初版の復刻が望まれていた。定価8000円と安くはないが、原本の古書相場の6分の1程度という。

1985.5.15
山田秀三
賛 辞

 永田方正著『北海道蝦夷語地名解』は不朽の名著である。金田一京助先生も、知里真志保博士も、アイヌ語地名を研究した学者は誰でもこの本を読む処から始められた。 ただ遺憾なことには、その初版本(明治24年刊)は早く稀覯本になり、今日一般に読まれているのは第4版本であろうか。知里博士の書に出て来るのもそれであり、私も何となく平常は第4版本を使って来た。
  何十年毎日のように利用していて、書き入れはする、側線はつける。表紙も剥がれて今はもうボロボロである。つまりそれくらいに利用価値のある本であるといえようか。
  ただ時々、読んでいておやと思う個所がある。幸、古いころ入手した初版本を持っているので、それを書架から抜いて対照して見ると、たいていは後の版の誤植である。ひどい処では、注解がずれていて次の地名の処についている場合さえあった。だが皆が使っている本である。初版本があればこそ、安心して、そこは直して使って来れたのであった。
  初めから初版本でやればいいのだが、使いつぶしにする覚悟で読んでいる本である。何だかそれにマークを書き込んだりするのがもったいないような気がするので、このごろは手の届く処にそれを置いて、気になる時に対照して確かめる程度にして来た。
  アイヌ語を知っている植字工がそうそういるはずがない。誤植が起るのは止むを得ないことであった。2版、3版、4版と、改版するごとにそれが起り、誤植が重なって来たのが今日の形なのであった。
  それで今回はそれが起こらないように、その初版本から写真で製版するようにお勧めした。それなら安心して読める。私もこれからは、今度の本を使って研究することにしたい。それなら気楽に印をつけたりできる。 知里博士が、彼の晩年の著『アイヌ語入門』(昭和34年刊)の中で、51頁も使って、この書を痛烈に批判したのは有名な話であった。彼はその結びの処で、「恩師金田一博士はこの書を名著だと書かれたが、実は迷著である」と書いてセンセイションを起こしたのであった。そのために、知識人の間でさえ、この書は読むに値いするものではない、かと考えられた時代もあった。とんでもないことである。
  そのころ知里博士と私は、アイヌ語地名調査の仲のいい棒組みだった。私が調査に出かける時には、彼も何とか時間を工面して同行してくれるのがいつもの例だった。そんな時の彼の鞄の中にはいつも永田地名解があった。
  一冊の永田地名解の綴じた処を外し、目的の土地の分だけを携帯する。いい工夫でしょうというのが彼の自慢。つまり、知里さんがアイヌ語地名の第一の参考書として読んでいたのが永田地名解なのであった。
  『アイヌ語入門』が出た時に私は文句をつけた。そんな迷著をどうして持って来るのだ、というのが私のいい分。「いや分からない人が読めば迷著だ。分る人が読めば名著ですよ」というのが彼の返事だった。こういうことであろうか。
  永田方正は明治中期の時代の抜群のアイヌ学者で、北海道庁長官の命を受け、道内国郡から計六千数百のアイヌ語地名を採録したのがこの書である。当時アイヌ語で暮らしていた地名伝承を拾い上げ、そのころのアイヌ語知識で、できるだけの解をつけて置いてくれた。この記録には感謝する外ない。
  だがそれから4分の3世紀が過ぎた。その間には、金田一先生や知里さん方の努力で、アイヌ語学は見ちがえるほどの進歩を遂げた。知里さんの指摘したのは、だいたいはその部分の知識である。彼の批評はあ、それが分らないで、古い永田地名解を、何でもかんでも鵜呑みにするのでは、せっかくの名著も迷著になりますよ、という意味なのであった。
  書き出すと激越な文になるのは彼のくせ。それに吊り込まれては駄目である。淡々と読むと、知里さんが現代の語学で、古い大先輩の名著の註釈を書いてくれたものであった。そのつもりでアイヌ語入門も読まれ、じっくりと永田地名解を見て行かれたならば、必ず珠玉のようなものを拾い上げられるであろう。
  久保寺逸彦博士も、知里博士も、永田地名解の銘々の索引を持っておられたようである。私も自分なりの索引を作ってずいぶん重宝した。特に索引の必要な書。今回の版では、ただ初版の復刊をしただけでなく、索引も作られて添付された。正確であり便利な本ができたのであった。

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