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『昭和最後のソウル 日本語で韓国を語るという冒険小倉紀蔵著

■日本で、昭和は終わった。人々は何食わぬ顔をして平成を装っている。 しかし、昭和という年号は今の日本の領土のみに敷かれたものではないことは、言ぅまでもない。韓国、台湾など、植民地にもそれは敷かれた. だから、日本においてだけ終わっても、それらの土地では終わっていないという歪つな事態に なる。もちろんそれは法律的には終わったが、心情的には終わっていない。昭和は韓国で、台湾で、いまだに続いているのである。それは終わろうとして終わることがで きず、あたかも針が戻らない旧式のレコードプレーヤーのように、それらの土地で残響を奏で続けている。(あとがきより)

ISBN4-88323-043-0 C0098 四六判212頁 1992年刊 定価 本体1,800円+税

目次
一部 昭和最後のソウル 日本語で韓国を語れるか 半島の想像力と島の想像力  情報感受性社会 ソウルの服に書く NO!と言ぇる韓国人  東アジアの新しいマーケティングの時代  1 日本からアジアへ 2 アジアから地球へ  
二部 刹那、アジア 韓国人といっしよに旅をした記 トワイライー・ゾーンに住む  皮膚感覚・韓国  君はうそを見たか  LAST KOREAN LOVE
三部 韓国人の顔・断想  韓国の虎とは何か「太郎」はどこから来たか 現代花郎目録  国家が知らない私の愛 コスモポリタン宣言    

著者略歴
1959年東京生まれ。東京大学ドイツ文学科卒業後、電通入社。マーケター、コピユライタ−としで活躍。東京コピーライターズクラブ新人賞など受賞多数。88年退社、渡韓。ソウル大学院にて韓国のシヤーマニズムおよぴ哲学を研究。現在、東海大学助教授。
著書に『韓国語はじめの一歩』筑摩書房『最もシンプルな韓国語マニュアル』アルク『韓国は一個の哲学である』講談社『東京・ソウル物語』(孫恵民と共著)等がある。

1992.4.12 朝日新聞
 失われてしまった心を求めて、電通のコピーライターだった著者は、初めて金浦空港に降りた時、この国にからめ取られて抜け出せなくなると感じる。退社してソウル大学院に留学、韓国女性を妻とし、マーケティ ングや雑誌づくりを仕事としながら、限りなく韓国人に近い意識をもって書いたエッセー。ソウル大学の留学生相談室で在日韓国人学生が日本語で傍若無人に大声で話し合っているケースを取り上げているように、テー マと分析はユニークだ。

1992.3.15 北海道新聞  
 四年前から韓国に住んでいる若手コピーライターが日本と韓国の違いや国民性などについて考えたことをつづったエッセー集。鋭敏な観察力で韓国社会の特徴や現状を見つめているほか、かつて戦争の加害者であっージをふりまく広告の世界に対しては率直に痛烈な疑問を投げかけている。「日本語で韓国を語れるか」と自問する姿勢には、両国の人びとの新しいつきあいかたを探す真しな目が見える。

1992.3.19 産経新聞
 マーケター、コピーライターとして活躍、1988年に渡韓して現在ソウル大大学院で韓国のシヤーマニズムを研究中の著者のエッセー集。表題の一文はじめ「日本語で韓国が語れるか」「半島の想像力と島の想像力」な ど十九編を収めているが、いずれも新鮮な視点と発想で読ませる。例えば社会主義経済崩懐の根源的理由はマルクスが商品というものを誤ってとらえたからだとする一方、 韓国も日本も国際社会で生き残ってゆくためにはマーケティングの新しい方法論を選ばねばならないと説 く。日本の武士の原型は新羅の青年貴族集会の指導者「花郎(ファラン)」だという指摘や、韓国人の顔に ついての断想、韓国の虎とは何かの考察も面白い。

1992.4.4 図書新聞 
川村亜子

 時代の先端からの日韓、韓国の伝統文化との係わりも仕事であれ旅行であれ、韓国へ行った日本人がどういう形にしろ必ずなんらかの場面 で出会ってしまうものに、反日と植民地時代のできごとのエピソードを巡るものがある。嫌でも出会ってしまう。避けたくても向こうからやって来る。もうずいぶん時間がたった過去の事が、急に昨日のように身近になることに、とまどいと驚きとで気持ちが揺れる。  
 日本人は何をしたのか? 当事者たちの世代はじょじょに去り、ほとんどの日本人はろくに知らない所で今を生きている。ところが韓国の方では様々な所でこの時代のでき事が今でも語られ、教育され、どれほど日本人が悪いことをしたかが刻まれ、時が流れない。この日韓のギャップは大きい。このギャップが大きいほど二つの国の間で過去を巡る感情の対立も深くなって行く。  
 『昭和最後のソウル』というこの本は、この日韓の最大で最後の問題であるこの溝を巡る所から始まる。日本で昭和は終わったが、韓国、台湾ではまだ終わっていない。なにくわぬ顔で次の平成に日本だけが移って行っても、何も解決しない。どうやったら昭和は終わらせられるのか。戦後の日本はいつのまにか自分 たち被害者に祭り上げ、言葉までもが被害者的な言辞になってしまっている。それは湾岸戦争の時の日本人の反応や、首相の発言を見ればよくわかる。自分たち被害者に言挙げした文脈で、真に昭和は終わらせられるのか、また、そんな言葉で韓国を語れるの……。  
 サブタイトルの韓国を日本語で語る冒険というのは、こういった戦後の日本語、マジノ線を休戦ラインにまでおしやった中での日本語、戦後日本が行った真の水平化、つまり商業語としての日本語、そんな日本語で韓国が語れるのかと問う。この問いはまた著者自身への問いでもある。その問いへの一つの解答、あるいはそういった地点からの韓国の語り方、読み方、それがこの本の中身である。  
 もちろん、日韓の過去を巡る問題、その解答など、簡単ではないし出ても来ない。だがやはりこの事は避けて通ることはできない。一つの方法として、著者は〈コピーライターの仕事は「感じ」をつかまえることだと僕は思っている。僕は「感じ」で韓国をとらえる。それ以外の方法は僕にはにあわない)と、自分の現在の位置から韓国での仕事を通してのでき事や思いを書いて行く。このモザイクのように、あるいはジグソーパズ ルの散らばった色とりどりのピース、それが少しずつ形をなして行くように、語られる韓国。その語ることの冒険。この冒険は果たして目的地に行けるだろうか?  著者の長い冒険の旅は始まったばかりである。電通でコピーライターとして活躍し、多数の賞をもらい、広告業界という時代の先喘にいた場所から韓国へ向かい、ソウル大の大学院で哲学を学び、一方韓国で若者向け雑誌の編集に携わったり、マーケター、コピーライター、プランナーとして仕事をしている。そういう場所から語られる韓国、広告という日本の言葉の表層を隙間なく被い、流通している言葉や機構、その先端の場所から語られる韓国、そしてアジア。  
 時代の先端の場所からの韓国観を底辺で支えているのが、もう一つの仕事、シヤーマニズムや哲学の研究といった韓国の伝統文化との係わりである。韓国の「虎」を語り、「花郎」を語り、日本の「金太郎」との繋がりを考える。  日韓のギャップ、昭和の本当の終わりはどうなればいいのか? 目的地も彼のパズルもまだ見えていないし、始まったばかりだ。マーケティングというボーダレスの武器がこの冒険の景色をどう変えるか、新しい韓国が語り続けられることを期待したい。

 

 

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