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 『アイヌ語地名の研究 4』山田秀三著

■北海道・東北地方のアイヌ語地名の分布・系統を解明した山田地名学の宝庫■ 
第4巻◎北方史の旅(二)◎
A5判 縦組 380ページ 1995年刊     
コード ISBN4-88323-085-6  C3325     
定価 本体5825円+税

◆目次より◆
【第一部】
北海道中部のアイヌ語地名▼
札幌のアイヌ地名を尋ねて‖
札南地区・都心と西郊・札北地区略説・札幌物語・札幌の東南郊/
深川のアイヌ地名を尋ねて‖
深川という地名・石狩川筋の地名・雨竜川中流の地名

【第二部】
追想のひと▼知里さんのこと/久保寺博士の追想/
金田一京助先生を偲んで/知里さんと地名調査をした話/
八重九郎翁を偲んで
第一巻〜第四巻のアイヌ語地名総索引

■1982.12.3■
北海道新聞
アイヌ語地名にも地方差
山田秀三


 戦後、金田一京助先生が、私のアイヌ語地名調査のやり方を喜ばれて、ずっと何かと相談相手になっていて下さった。だが、10年、15年たつと、まだやっているのですかと半ばあきれられた。しかし、私の方はそれどころではない、これからなのですと答えた。今になっても、まだ調べたいものだらけで、どれから手をつけたらと迷っている状態である。 昭和16年から約2年間、仙台鉱山監督局長という職務についていたころ、東北地方の山の沢筋に、アイヌ語から来たらしい地名が一ぱいあることに気がついた。アイヌ語を使っていた人たちが広く住んでいたものらしい。  周知の通り、日本列島の北方古代史の記録は甚だしく欠けていて、アイヌ語系の人たちの側がら見た資料に至っては全く絶無であるが、幸い、地名だけが残っている。これらを調べて行ったら、北方の古代史とか社会文化の一断面にでも触れることができやしないか、と思ったことが私の地名研究の動機なのであった。  研究の材料として地名を取り扱うとすれば、その元来の位置とか意味とかが正確に分からなければならない。地名の多くは2つか3つの単語の組み合わせであるが、簡単な形だけに、実は分かりにくいことも多いのが事実なのであった。  北海道で育った方には、アイヌ語地名は珍しくも何ともない。意味は本を見れば分かっていると思われるかもしれないが、それらと取り組んで見るととんでもない、実は分からないことだらけである。地名調査の棒組みだった親友・知里真志保博士とよくそのことを語りあって慨嘆したものであった。  地名はその土地につけられた名である。そこに行かなければほんとうのことは分からない。それでよく旅行した。目的地に近い駅で下車するとまず第一の仕事は土地に詳しい年配のタクシー運転手を物色することであった。その車に乗って、目的地の地形や土地の古老の居所などを聞きながら行くと参考になることが少なくない。  北見の峰浜は、前のころは朱円で、さらに前はそれで「しゅまどかり」と呼んでいた。アイヌ語のシュマ・トゥカリ(石の・手前)というアイヌ語地名から来た名前なのであった。地名で「手前」というのは、たいていの場合、長い砂浜をたどって行って、何かにぶつかる処に使われることは経験上知っているが、その「石」がどんなものだったかを見たいのだった。  運転手君に話すと「じょうだんでしょう。斜里からこの辺はずっと砂浜ですよ」という。まあいいから、峰浜の川を渡ったら海岸に出てくれ。何か石があるはずだから、と答えた。  浜に出たらすっかり分かった。峰浜の川(島戸狩川)までの海岸は長い砂浜なのに、川から東はがらっと変わってごろた石ばかりの海浜なのである。この地名のシュマというのは、このごろた石のことなのであった。運転手君あきれて、旦那前に来たのでしょうという。いやアイヌ語を少し知っているからだよと笑った。アイヌ語の地名に嘘はない。  だんだん調査の範囲を拡げて行ったら、地名の上でも地方差のある点に気がついて来た。例えば地名に現れている東・西である。私は、関係していた工場のある道南の幌別の辺から地名調査を始めたのであるが、幌別、登別、白老とやっていると、たいていの川は右股の方がコイカ(東)川で、左股の方にはコイポ(西)の川と名がついている。川名はそういう風につけるものかと思っていた。  処がだんだん奥地を旅行するようになると、一日中歩いてもコイカ、コイポに出合わない処がある。詳しく調べてもそうなので、何だか別の国に来たのじゃないかと思うくらいである。また他の地方に行くとそっちではまたコイカがいっぱい並んでいた。  何だか変な気がするので、全道的に調べ直して見たくなり、手間はかかるが幕末、明治の全道の旧図、旧記を改めて読んで、コイカ、コイポ地名を拾い集め、諸方を歩く時にはそれを頭の中に置いてチェックして行った。気の長い調査であるが、それを十年続けて来て、だいたいの見当がついた。  コイカ、コイポで川名を呼んだ人たちは、釧路、十勝、日高、胆振の民、つまり太平洋岸の種族の人たちで、オホーツク海や日本海の人たちは、全く使わない地名なのであった。その意味では、特別な言語慣習が道の南岸地方を流れていたことが分かる。詳しくは、近く刊行される『アイヌ語地名の研究』(全四巻)と題する私の著作集の中で見て戴きたい。  北海道から東北地方にかけて、アイヌ語系の地名を一つ一つ検討して行くことから始まって、それらを集めてこんな風な研究をしている中に、いつの間にか40年たって、歳をとってしまった。分からなくなった北方古代史に触れる処まではまだ行っていないが、とにかくその手掛かりになる若干の材料は集まった。これからが面白そうである。多くの同好文化愛好者方と共に、それから先をやって行きたい。



参考:草風館刊/山田秀三著
「アイヌ語地名の研究」1
「アイヌ語地名の研究」2
「アイヌ語地名の研究」3
「東北・アイヌ語地名の研究」
「アイヌ語地名の輪郭」

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