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 『父からの手紙―再び「癩者」の息子として林 力著

■ おそらく「自分の父は癩(ハンセン病)者である」と宣言したのは初めてのことだろう。
部落解放運動に参加して目覚めていくなかで近代日本が犯したスティグマを告発する痛切な書である。私はなぜ「癩(らい)者」の息子宣言したのか。 数多くの患者と家族を屈辱の境遇に追い込んだ、この人権侵害政策をだれがつくったのか。 現今のHIV(エイズ)に対する偏見をつくりだす共通の土壌がここにある。 孤絶のうちに死んだ、父の手紙を読みながら、近代日本が犯し続け、いまなお根強い偏見が残る日本社会の差別と迫害の歴史を徹底的に検証する。
ISBN4-88323-098-8 A5判 1997年刊 定価 本体2,800円+税

●目次●
一、忘れられてきた「らい」
二、反差別連帯の闘いからも見落とされた「らい」――接点としての「けがれ」
三、「らい」者の息子宣言
四、一人の権力者と隔離政策――光田イズムに触れて−―
五、父の収容――棄てられ人に 1937年――
六、父との再会――1945年以降――
七、父の手紙――再び父を求めて――
八、父を支えた宿業観――問われている宗教――
九、まとめ――切り開いた人々 そして、もし父在りせば―― 
      
【すいせん者】
▼近代のスティグマ 大谷藤郎( 厚生省「らい予防法見直し検討会」座長・藤楓協会理事長・国際医療福祉大学学長)
社会的地位を得た著者がなぜ「癩者」の息子宣言をしたか。近代日本 「らい」病というスティグマ(差別的烙印)を灼きつけられた本人と家族の苦しみは、言語に絶した。隔離の地で無念孤独の死を余儀なくされた父からの手紙に慟哭しながら、日本の医療・行政・宗教が犯した間違いに肉迫する著者の姿に私は涙した。

▼幻の人間解放の光景 島比呂志
(作家。同人雑誌『火山地帯』主宰。著書『奇妙な国』『片居からの解放』など)
林力さんが「癩者」と呼んだ父上は、もうこの世にいない。しかし「らい予防法」廃止に際して、もし存命ならばということで、本書に「…手をとり合って世間に風貌をさらすとしたら、何と素晴らしい人間解放の光景の一コマだろう」と書いている。ハンセン病療養所の入所者なら、誰もが心に描いてきた光景だが、国は余りいい表情をしていない。
▼克服すべき最大問題 村越末男(社団法人 部落解放研究所理事長・大阪市立大学名誉教授)
林力氏の新著は、日本における差別構造を具体的に、しかも透徹した人権の論理と部落解放の教育的視点から描きつくした名著である。宗教者の世界にまで浸透した部落と癩者への差別は、日本の無知と非科学性の象徴であり、人権赤字国日本の克服すべき最大の課題である。親子の情、教師としての生きざま、長期にわたる林力氏の差別への闘いを讃え本書を推薦する。

■ 朝日新聞 1997.12.2
父と街歩きたかった
ハンセン病と闘う便りに心打たれ 
揺れた気持ち、部落解放運動も契機
 
部落解放運動と解放教育に長年、尽力してきた九州産業大学教授の林力さん(73)が、癩(らい)=ハンセン病=患者だった父の生涯と自分の生き方を重ねて語った「父からの手紙ー再び『癩者』の息子として」(草風館)を出版した。本の結びで林さんは「もし父が生きていれば一緒に博多の街を歩きたい」と病気の治った回復者が社会復帰を果たす姿を描く。大阪市浪速区、部落解放研究所の村越末男理事長(67)は「人権侵害と差別に対する闘いの具体的な事例としてこの本を多くの人に読んでほしい」といっている。(企画報道室 安村弘)

■朝日新聞 1997.10.17
にゅうすらうんじ「こんな話 」
父を「囲われ人」にしたもの  
「会いたい。お前に死ぬほど会いたい。今すぐ、ここに現れて欲しい。だが、会えば別れなければならない。それはさびしい。費用もいることだし、こないでくれ」 九州産業大学教授の林力さん(73)は、父からの手紙を今も何度となく読み返す。 そのたびに、面会のときの父の姿が浮かぶ。ひげづらを涙でぬらし、涙とともに落ちてくる鼻水をぬぐう手は、病気のため変形していた。父には、息子へのあふれるような思いがあった。が、つかの間の時が過ぎれば再び別れるしかなかった。 父はハンセン病だった。   
◎ 1937年、林さんが小学六年のとき父は発病した。42歳だった。鹿児島の国立らい(ハンセン病)療養所に強制収容された。そこに隔離されたまま生涯を終えた。68歳になっていた。  父は収容されてからは、偽名を使った。はじめは「山中捨五郎」。晩年には「捨」が消え、五郎になった。 手紙はいつも、その偽名で差し出され、療養所からとも分からぬようにした。 ハンセン病はごく弱い感染症だが、そのころは「恐ろしい伝染病」と予断と偏見があった。身内に患者がいることを知られないように、という父の配慮だった。 「父のことは、お前の生涯の秘密である。人生行路の鉄則として、世を渡ることにされたい。父が生前に頼むのはこのことのみである」この手紙は林さんが小学校の教師をしているころだ。父の、祈るような息子への戒めだった。手紙から20年後の74年、林さんはそれを破る。著書『解放を問われつづけて』のなかで、すでに亡き父のことを告白した。 同和教育を通して部落解放運動に取り組んでいた。 当時、被差別部落の出身を宣言し、差別と闘うことを誓う子どもたちがいた。その子たちを教える自分が、世間の目を恐れて父のことを語らない。ずっと自責の念にとらわれていたからだ。
◎父を、その死まで26年にわたって「囲われ人」にしたのは、明治以来の「らい予防法」だった。隔離は、戦後間もなく薬で完全に治癒すると分かってからも続いた。法が廃止されたのは、やっと昨年4月のことだ。「予断と偏見」で多くの患者たちが、人生の様々な可能性を奪われてきた。父もその一人だった。そこに追い込んだものを、林さんは近著『父からの手紙』(東京・草風館)で問い直している。(社会部・山内正幸)

■ 佐賀新聞 1998.3.16
こころ欄
差別の構造断罪 部落解放運動に重ね合わせ  
ハンセン病患者の強制隔離を規定した「らい予防法」の廃止から、間もなく2年。人権抑圧の歴史を告発する手記やルポルタージュが出版されているが、九州大学教授の林力さん(73)が執筆した『父からの手紙ー再び「癩(らい)者」の息子として』は、患者だった父親の生涯を部落解放運動にかかわる自分の生き方に重ねて語ったという点に重みを持つ。90年にわたって予防法の存在を許してきたことが照射するものは何か。過去ではなく、日本社会の人権意識の現状を、深く静かに問いかける。
■ 雑誌「部落解放」 1997.11 本の紹介  
癩(ハンセン病)に対する偏見・差別をなくすための啓蒙の重要性を力説する人は多いが、林氏のように、癩の異形(後遺症)に世間の目と感性を慣れさせねばならない、とわが身の問題として主張されたのは初めてである。社会復帰に対して熱意を示さない厚生省や関係者は、耳が痛いのではないか。(島 比呂志)

 

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